体罰騒動に見るスポーツでの言語技術

女子柔道日本代表の監督が体罰問題で辞任しました。
マスコミでは、連日体罰が起きた原因や、JOCに訴えた選手の言葉などを報じていますが、僕は今回の騒動を別の側面から見ていました。それは、スポーツにおける言語技術です。
言語技術というと難しそうですが、簡単に言うと「選手が試合やプレーの目的・背景などを自分の言葉で説明できること」という感じです。
なぜこのような側面で見ていたかというと、体罰の背景には根性論や激励だけではなく、「競技全体として言葉で伝える力の弱さ」を感じたからです。
※ちなみに、僕は体罰肯定論者でも反対論者でもありません。ひとくくりに「体罰」と報じられていますが、セクハラと同じで体罰の受け手がどう考えるかによって変わってくると思うからです。
柔道の試合の後の選手インタビューを思い出してみてください(勝ち負けは関係ありません)。ほとんどが、「努力」にだけ言及したものです。マスコミや視聴者のウケがいいのはたしかに「一生懸命頑張りました」という言葉でしょうが、「根性しか教えてないのか?」という捉え方もできます。
「相手がこう攻めてくるだろうから自分はこういうふうに行こうという戦略があって、それがハマった。だから勝てた。」とか、「このような流れになるのは想定外だったが、このような対処をした」とか、選手自身の考えはほとんど出てきません(もしかしたらあるのかもしれませんが)。
一方で、言語技術を導入した指導に力を入れているサッカーは対照的です。南アフリカW杯の際のインタビューには、
「今回はこういうシステム(陣形)を取りました。早めにプレスしてボールの支配権を握るのがあの相手には有効だと考えたからです。」
のように、選手自身の考えがはっきりと現れていました。指導者の考えかもしれませんが、それを選手が理解して言葉にできる時点で、かなり言語技術が進んでいると思いました。指導者がザッケローニ監督で外国人であるため、なおさら言葉に対しては敏感になるでしょう。日本特有の「なんとなくこうだろう」は通用しません(日本特有の曖昧なまま通じ合う文化は、特に団体競技に大きなプラスをもたらすとは思いますがここでは言及しません)。指導者が外国人であることや、大人数でプレーすることなどの他の要因も多くありますが、サッカーのほうが柔道より言語技術が進んでいるのは明らかです。
おそらく、柔道という競技の世界(特に日本)では、言語を通じた論理的な指導が行われていないのでしょう。監督が、選手同士が、お互いに相手にわかるように指導やアドバイスをおこなっていない。言葉で伝えきれないから、感情先行で根性論ばかりが表に出るようになり、言葉で伝えきれないからつい手が出る。想像でしかありませんが、今回の体罰騒動もこのような流れではないでしょうか。
体罰を交えた指導法では、我慢強さこそ身につきますが、相手がどのような戦略を取ってきて、それに対して自分はどう戦略を立ててどう戦うか、という思考力は身につきません。全く別物だからです。
プレーヤーは選手自身なのだから、選手自身が自身の力で考えることができるように導くのが指導者だと僕は思います。どうしてこの局面でこういうプレーをしたのか、理由や背景はあるのか、などなどを徹底的に考えて選手同士で議論できる素地をつくるための問いかけを行うこと。技術は後からついてきます。
スポーツには、徹底的に考える脳の体力が必要なのです。このことを早く日本のスポーツ界にはわかってもらいたいですね。

ちなみに僕は学生時代からずっとテニスをやっていますが、この言語技術に乏しかったこともあり、「練習プロ」と呼ばれていましたorz(要は、技術は高いけど勝てない人。一応、随分昔にダブルスの日本ランキングポイントは採ったんですけどねぇ・・・)。