カテゴリー別アーカイブ: つぶやき

ファスティング2日目

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ファスティング2日目。体重が徐々に減り始めております。口にするのは酵素ジュースと水だけだからあたりまえっちゃ当たり前か。

※ファスティングの目的はデトックスです。ダイエットがメインの目的ではありません。

最初は6日間ぐらい楽勝だろって思ってましたが、マジしんどいっす。心折れそうっす。

好転反応で頭がずっと痛い。腸が弱っているためか、ずっとふらふらする。そして何より、旨いものが食べられない!!!!これは何よりも苦痛です。

しかし、ファスティングが終わった後は全く違った身体に生まれ変われると信じて、あと4日間頑張ります。

テレビでウマそうなもの食べてるの見るとマジ発狂しそうになるわ・・・。

from 1945.8.6 to 2016.5.27

http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-begins-visit-to-hiroshima_n_10160172.html

現職の大統領として初めて、アメリカのオバマ大統領が被爆地広島を訪問しました。

現職の大統領として初めて訪問したこと、そして71年前のあの日に思いを馳せたこと、とても意義深いことだと思います。

アメリカ世論としてはアメリカとしての威厳を保つために訪問に反対する声もあったことでしょう。それを押しての訪問。その勇気に最大限の敬意を表したい。

国内メディアの中には「謝罪するか否か」に注目しているところも多かったのですが、正直謝罪するかどうかはもうどうでもいいこと。なぜなら、被爆者の方々が、『謝罪ではなく未来志向で』とおっしゃっているのだから。外野がとやかくいうことではありません。

戦争のない世界への大きな大きな第一歩。私自身は被爆2世として71年前の出来事に加え、今日この日のことを伝えていきたいと思います。

機能よりデザインより『ストーリー』

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HBR4月号の『「デザイン思考」を超えるデザイン思考』がとても興味深い。

本論もさることながら、コラムとして書かれている「ストーリー価値をいかに提供できるか」は、今までの価値基準のままビジネスを進めても顧客は納得してくれないという警鐘を鳴らしてくれています。

曰く、技術やデザインでは模倣困難性を持ちづらく、そこにストーリーが合わさらないと顧客は振り向いてくれないとのことです。

ではストーリーとは何でしょう?

私が思うに、顧客に提供されるそれこそ「論理」であろうと思うわけです。例えば、起承転結も論理のつながりですし、プレゼンでよく用いられるPREP法だって論理のつながりなわけです。

機能、デザイン、そして論理明快なストーリー。これこそが今の時代顧客に必要とされる価値なのでしょう。

一橋大学大学院の楠木健先生の著書「ストーリーとしての競争戦略」の大ヒットも、それを裏付けているのかもしれませんね。

WordPressにBlogを移行しました

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このブログ、もはやほとんど更新しなくなってしまい半年ぶりぐらいに管理画面にログインしたら、画面が変わるたびにログイン画面に戻るという不具合発生。原因もわからないので、ちょうどよい機会ということでMovableType(もう古すぎてバージョン幾つか覚えてない)から、WordPressに移行しました。

移行前に気にしていたのは、画像データへのリンク切れ。しかしこれは独自ドメイン名をサブディレクトリに紐付けることで回避(詳しく書くと長いですが面倒なのではしょりますw)

他にも調べてみると、パーマリンクの設定やらなんやらあったんですが、めんどくさいのでとりあえずパーマリンクの設定だけいじって、あとは「えーいやっちまえー!」ってことで強制移行!!!!

読み通りであれば行けるはず!はい、意外に行けるもんです。

これで心機一転!このブログの更新頻度も一気に上・・・。

まぁ生暖かい目で見守ってくだされw

変わった視点でマンガを読んでみる

ヒロインがかわいすぎて思わずKindleで全購入してしまいました。
内容はよくある少年漫画のラブコメ。10年後にタイムスリップする能力をあるとき身につけた主人公が見たのは、10年後の自分がクラスのヒロインと結婚している未来だった。でも未来はときどき不安定になり、別の人と結婚していたり、ひきこもりになっていたりとコロコロ変わる。ヒロインの子と結婚する未来をつかむべく、主人公は何とか頑張ろうとする、というもの。
この漫画きっかけでラブコメ熱に火がついてしまい、休みの日には最近漫喫にこもりがちな私なのですが、この漫画をちょっと違った視点で切ってみようと思います。
高校生の頃、10年後の未来をどのように考えていただろうか、とふと思い返してみました。18歳の10年後だから28歳。私だといまから10年前。N◯Cで営業として働いていた頃です。
私は残念ながら大した夢も持っていなかったため、当然10年後の自分の姿なんて想像もできていませんでした。自分の未来の姿を初めてイメージしたのは就職活動の頃。その頃に、企業経営に携わりたいと考えるようになりました。
さて、翻って現在。
今から10年後、私は48歳。もういい加減おっさんです。でも、どんなおっさんになりたいか、どんな仕事をしていて、どんな家庭生活を送っていたいかは想像できます。10年手帳ってものすらあるぐらいですから、10年後の自分の姿をイメージしようと考えている人は多いのでしょうね。
高校を卒業してからもう20年。だから、10年なんてあっという間なのです。このマンガから、「未来を想像し、未来のありたい姿に向かって日々努力する」ということを学ぶことが出来ました。
ちょっと違った視点ですが、こういう見方でマンガを読んでも色々な気付きがあるものですね。
いやぁでも我妻さんかわいすぎる♪
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賢い顧客になっているか?

約2年ぶりに書き始めたブログ、書き始めてすぐに年の瀬を迎えました。

普通であれば年始にあげた目標の振り返りなどやるのでしょうが、そこはあえてやらずにいつものスタンスで書いていこうと思います。

物を買う行為は私たちが日常的におこなっている行為です。今回はこの「買う」ことに関して書いてみます。

先日、ある友人と会う機会があり、色々と話をする中で、生命保険の話になりました。私とその友人を担当してくれている営業さんは元々同じ人でした。私の方は今も最初から変わらない営業さんに担当頂いていますが、友人の方はすでに営業が3人も変わったとのことでした。

こういう書き方はよくないかもしれませんが、私は「あー、カモにされたな」と思いました。

日常よく買うものであれば、その商品の詳しい知識などはあまり気にはならないものですが、保険や投資になると、買う側にも相応の知識が求められます。と同時に、知識のない書い手は売り手から狙われ、結果よくわからない物を買わされてしまうのです。

最近では食材のような日常的に買うものでもトレーサビリティが求められたり、消費者が知識をつけやすい環境になってきています。その分情報量は増えますが、この情報の海をうまく泳いで、賢く商品を選び、自分の満足のいく人生行路を切り開いていく時代になったと言えるでしょう。

だから、「買う」側の場合にも売る側と同じかそれ以上の知識が必要になってくるのです。
膨大な情報の海を泳ぎきるだけの技術と知識、そして人生設計という海図を描けているか、今一度見直す年末年始であっても良いのではないでしょうか。

体罰騒動に見るスポーツでの言語技術

女子柔道日本代表の監督が体罰問題で辞任しました。
マスコミでは、連日体罰が起きた原因や、JOCに訴えた選手の言葉などを報じていますが、僕は今回の騒動を別の側面から見ていました。それは、スポーツにおける言語技術です。
言語技術というと難しそうですが、簡単に言うと「選手が試合やプレーの目的・背景などを自分の言葉で説明できること」という感じです。
なぜこのような側面で見ていたかというと、体罰の背景には根性論や激励だけではなく、「競技全体として言葉で伝える力の弱さ」を感じたからです。
※ちなみに、僕は体罰肯定論者でも反対論者でもありません。ひとくくりに「体罰」と報じられていますが、セクハラと同じで体罰の受け手がどう考えるかによって変わってくると思うからです。
柔道の試合の後の選手インタビューを思い出してみてください(勝ち負けは関係ありません)。ほとんどが、「努力」にだけ言及したものです。マスコミや視聴者のウケがいいのはたしかに「一生懸命頑張りました」という言葉でしょうが、「根性しか教えてないのか?」という捉え方もできます。
「相手がこう攻めてくるだろうから自分はこういうふうに行こうという戦略があって、それがハマった。だから勝てた。」とか、「このような流れになるのは想定外だったが、このような対処をした」とか、選手自身の考えはほとんど出てきません(もしかしたらあるのかもしれませんが)。
一方で、言語技術を導入した指導に力を入れているサッカーは対照的です。南アフリカW杯の際のインタビューには、
「今回はこういうシステム(陣形)を取りました。早めにプレスしてボールの支配権を握るのがあの相手には有効だと考えたからです。」
のように、選手自身の考えがはっきりと現れていました。指導者の考えかもしれませんが、それを選手が理解して言葉にできる時点で、かなり言語技術が進んでいると思いました。指導者がザッケローニ監督で外国人であるため、なおさら言葉に対しては敏感になるでしょう。日本特有の「なんとなくこうだろう」は通用しません(日本特有の曖昧なまま通じ合う文化は、特に団体競技に大きなプラスをもたらすとは思いますがここでは言及しません)。指導者が外国人であることや、大人数でプレーすることなどの他の要因も多くありますが、サッカーのほうが柔道より言語技術が進んでいるのは明らかです。
おそらく、柔道という競技の世界(特に日本)では、言語を通じた論理的な指導が行われていないのでしょう。監督が、選手同士が、お互いに相手にわかるように指導やアドバイスをおこなっていない。言葉で伝えきれないから、感情先行で根性論ばかりが表に出るようになり、言葉で伝えきれないからつい手が出る。想像でしかありませんが、今回の体罰騒動もこのような流れではないでしょうか。
体罰を交えた指導法では、我慢強さこそ身につきますが、相手がどのような戦略を取ってきて、それに対して自分はどう戦略を立ててどう戦うか、という思考力は身につきません。全く別物だからです。
プレーヤーは選手自身なのだから、選手自身が自身の力で考えることができるように導くのが指導者だと僕は思います。どうしてこの局面でこういうプレーをしたのか、理由や背景はあるのか、などなどを徹底的に考えて選手同士で議論できる素地をつくるための問いかけを行うこと。技術は後からついてきます。
スポーツには、徹底的に考える脳の体力が必要なのです。このことを早く日本のスポーツ界にはわかってもらいたいですね。

ちなみに僕は学生時代からずっとテニスをやっていますが、この言語技術に乏しかったこともあり、「練習プロ」と呼ばれていましたorz(要は、技術は高いけど勝てない人。一応、随分昔にダブルスの日本ランキングポイントは採ったんですけどねぇ・・・)。

マッキンゼーの人のリーダーシップ

採用基準
採用基準 伊賀 泰代

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世界の経営学者はいま何を考えているのか――知られざるビジネスの知のフロンティア 結果を出すリーダーはみな非情である 外資系コンサルのスライド作成術―図解表現23のテクニック スタンフォードの自分を変える教室 ハーバード流宴会術 

かの「ちきりん」ではないかと噂される方の著書だったので読んでみました。中身を一言でまとめると、「マッキンゼーではこのようなリーダーシップが求められる」といったものです。
読んでよかった点としては、
・リーダーシップを持つことによるメリットが具体的にわかったこと
・今の日本に不足しているリーダーシップに対する危機感を持つことが出来たこと
です。
一方で、ちょっと残念だった点もあります。それは、書籍の論調が下記のように受け止められたことです。
・今の日本はこれだからダメなんだ
・これから求められるリーダーシップをマッキンゼーでは普通に実践している
書籍の名前が「採用基準」であり、基準を示すのがこの本の目的だとすると上記論調でも良いとは思うのですが、自分がもし執筆する立場であれば、「ではどうしたらよいのか」まで踏み込みたいと考えます。
勘違いしてはいけないのは、マッキンゼーで実践されているリーダーシップを一人が発揮しても、他のメンバーがついて来なければ全く意味が無いということです。穿った見方かも知れませんが、僕は本書からは「マッキンゼーでは全員が全員リーダーシップを求められる環境だから、リーダーシップが全員に行き渡る」と解釈しました。例えば、マッキンゼー出身の人がたった一人で古くからある日本のメーカーに転職したとします。そこでマッキンゼー流のリーダーシップを発揮しても、おそらく空回りするだけでしょう。周囲からは「一人で勝手に頑張ってろ」という目で見られる可能性だってあります。
別にこの実態が良いと言っているわけではなく、正直そのような日本企業の組織風土自体は大問題だとは思います。しかし、これが日本企業の現実だとも思います。この現実に対してどのように取り組んで行くかについては、本書では言及をされていません。
過去に僕は「遅い人に合わせる」という内容を書いたことがあります。ここに書いてあるように、リーダー自身が他のメンバーを動機付け、脱落しないように後ろから支えつつプロジェクトを進めていく形が必要なのではないかなぁと再確認した次第です。

リーダーシップの難しさ

中小企業診断士に合格して約1年。この1年、様々な活動にリーダー的な立ち位置で参画をさせていただきました。具体的には、書籍の執筆、研究会の運営などです。
中小企業診断士に合格して約1年。この1年、様々な活動にリーダー的な立ち位置で参画をさせていただきました。具体的には、書籍の執筆、研究会の運営などです。
それぞれの活動の中で僕自身として一貫して持っていた目標があります。それは「個々人がリーダーシップを持って動いてもらえるようにすること」です。
その理由は2点あります。
ひとつは、どちらかと言うと統率型の僕自身が別の形のリーダーシップを身につける必要性を感じていたこと。もう一つは、未だ目にすることの少ないボトムアップ型リーダーシップの難所を体験しておきたいことでした。統率型リーダーシップの限界について耳にすることは多いものの、その実例はあまり聞いたことがないように思います(あくまで僕の感覚ですが)。それだけ難しいのであれば、その難しさは体感しておいたほうが良いだろうという考えです。
1年間の活動で色々と気づいたことなどもあったので、振り返りをしてみたいと思います。
1.実際やってみてどうだったか?
目標の達成度としては、五分五分だったと思います。その理由は下記の2点です。
①書籍執筆ではメンバーの脱落もなく過去最高の売上を達成したこと。
2012年1月から6月までかけて書籍の執筆に取り組み、7月以降は販促セミナーなども実施した出版プロジェクトでは、幸いにして過去最高の売上を達成しました。メンバーの脱落もなく、メンバーそれぞれがプロジェクトを楽しむことができたと実感しています(少なくとも僕は・・・ですが)。
②研究会運営では、チームメンバーの中で動いている人とそうでない人の差が激しかったこと。
40名程度で組織された研究会の運営では、5つほどのサブチームに分けて活動を行いました。こちらは、チーム内メンバーで活発な動きをする方とそうでない方の差が激しく、実質アクティブなメンバーは6割程度にとどまったという実感です(すみません、少なくとも、僕の感触です)。
2.なぜそうなったのか?
上記のような差がでた要因として、僕は「具体的な成果の提示と個々人の合意」で差がついたと思います。当たり前じゃないかと言われてしまうと思いますが、この「具体性のある成果」と「合意」がとても難しいのです。最初に「やります」といったメンバーも、様々な理由で活動を継続できなくなることがあります。人間ですから途中で気が変わったり、モチベーションが低下したり、家庭や仕事の事情で継続ができなくなったり、人それぞれで様々です。
様々な要因で活動継続が難しそうになった際に、拠り所となるのが「具体的な成果」です。メンバーはこの成果を達成したいために活動に参加しているとも言えます。もしこの成果に具体性が乏しかったらどうなるでしょうか。成果へのコミットが得られず、外的要因で活動継続が難しくなったらメンバーは離脱をしていってしまいます。
書籍の執筆では、実際に自分が書いて執筆メンバーとして名前の載る書籍が出版され、書店に平積みになるという「メンバーにとってイメージしやすい成果」が提示・浸透できていました。
一方、研究会の運営では、「リーダーシップ」という目標は全員で考えて出したものの、具体性がなく個々人を動かすエンジンとは成り得なかったように思います。
3.どうすればよかったのか
個々人が納得する成果・メリットの捻出(出来れば個々人で考えてもらう)と合意に時間をかければよかったと思っています。よく、「組織のために頑張るのは当たり前だろう」という人がいますが、僕はそうは思いません(思わなくなった、という方が適切な表現です)。結局のところ人間が動く原動力は「自分にとってメリットがあるかどうか」だと思います(日本人に限ってかも知れませんが)。
マッキンゼーでコンサルタントの採用に長年携わった伊賀泰代さんの「採用基準」という著書に、興味深いことが書いてありました。「日本人は大変個人主義的」だそうです。日本の社会では、小学生から大学生までの成績は全て個人の成績で決められ、就職してからも管理職以外は個人業績でしか評価されないというのが理由とのこと。一方アメリカでは、チームで出した成果やチームの中での立ち位置、自分の発揮したリーダーシップについて細かく問われるそうです。納得をしてしまいました。日本人の言う「組織のために」という言葉がいかに薄っぺらいかがわかりました。
話が少し脇道にそれましたが、「これは組織のためだから」といって成果を提示しても、個々人は合意をしない可能性が高いということです。
ですから、個々人が、個人としての目標を立ててそれに納得をするまで時間をかけなければいけなかった、というのが反省事項です。
その他に得られた気付きとしては、脱落する人が出ることも想定しないといけないということがあります。脱落者はなるべく出ないようにするべきだとは思いますが、脱落自体を悪だと考えてしまうとチーム内に遺恨が残ります。脱落者が出てしまうことはリーダーの責任であるし、どうしても脱落せざるを得ない事情であれば、遺恨を残さないようにリーダーが責任をもって処理したほうがいいでしょう。
※全員が同じ方向を向いているチームでは、脱落してもそこをカバーできるメンバーの意識や体制が醸成されていますが、ぶっちゃけそんなチームを作るの至難の業です。自分を含む凡人がそこを目指すと宗教じみた集団になり、極端な考え方のまま走って自浄作用が効かない組織が出来上がることでしょう。
たかが1年だけで何をわかったふうに、と思われるかもしれませんが、僕自身としてはたくさんの気づきを得ることが出来ました。と同時に、正直疲れました。今年は「個人として着実に成長する」ことに力を注ぎたいと思います。

「逆に」に騙されないように

以前から、会話の中でても気になっている言葉があります。
それは「逆に」という言葉です。
僕の感覚ですが、この言葉、使われどころとしては、
「自分の主張を論じている時」が多い模様です。
では、どういう論じ方かというと、下記のようなパターンが多いように見受けられます。
「①AであればBだとおもうんだよ(主張)。
 ②逆に言うと、BであればAなんだよね(逆の証明)。
 ③だから、AはBなんだよ。」
具体例として、A=哺乳類、B=人間、として見てみようと思います。
②の命題を真(正しいということ)としてみると、先程の例は下記のようになります。
「①哺乳類であれば、人間だと思うんだよね。
 ②逆に言うと、人間であれば、哺乳類なんだよ。
 ③だから、哺乳類は、人間なんだよ。」
さて、これって正しいと思いますか?すぐおかしいということに気がつくと思います。
②は真ですが、それが正しいからといって、①③が正しいとは限りません。
「哺乳類であれば人間である」
これはそうとは限らないですよね。
でも日常会話の中で、このような論理展開で会話がなされていることはよくあると思います。
そして、それに納得してしまっている方々も多いと思います(僕も含め)。
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なぜ納得してしまうのでしょうか?
それは、複数の視点で見ているように聞こえるので、より論理として間違いがないと錯覚してしまうからだと思います。実際、論理的であるためには、複数の視点からの吟味が必要になります。
しかし、上記したように、複数の視点で話をしているように見えますが、その実論理的には間違っている会話が行われています。そして、一見合っているように聞こえるので、話をしている本人も含め、間違いに気づきづらいのだと思います。
これを見抜く&自分がそうならないようにするためには、「果たしてそれって正しいのか?」を頻繁に見なおすことだと思います。僕は相手の話を止めてその確認をやったこともあります。
「逆に」という言葉、使いやすいためついつい使ってしまいそうな自分もいます。
ですが、間違いを誘発しやすいため、軽々しく使わないようにしたいですね。